JSCF NPO法人 日本せきずい基金

介護する人の心のケア


藤川 呼吸器付けておられる方たいへんなんですけど、介護している家族ね、これがまたたいへんなんですよ。 21世紀に向けてということになりますとね。もちろん脊髄が再生されれば一番いいんですが、それはちょっとすぐには無理だということになりますと、どうしても家族に負担が掛かってくる。たいへんですよね、話を聞いてるだけでも。

  ぜひ介護をする人のケア、「ケアする人のケア」がないと、 たいへんなことになります。 私のかみさんも死にました、それで。介護疲れだけじゃありませんけど。(膀胱) 洗浄毎日やるでしょう。 膀胱瘻を造設したばっかりだったから、血や膿なんかが出て、それを素人の奥さんがやるわけです。消毒したり膀胱洗浄したり。 介護している側が倒れます。皆さん、どうぞくれぐれも介護している方もお体を大切になさってください。心も大切になさってください。

松井 ありがとうございました。ほかに、ぜひ、もう時間が限られてきましたが、ぜひ発言したい方、どうぞ。


 米国の医療で頸損が完全回復


中久喜 ナカクキと申します。私も実は C5の頸損をやっておりまして、一時は全然動けない状態だったんですが、今はほとんど普通の人と変わらないくらい回復しました。その体験が参考になるかも知れませんので、ちょっとお話しさせていただきます。

  怪我をした場所はアメリカのカリフォルニア州で、スカイダイビング中に着地のときに転倒してしまいまして、C5 のあたりを骨折しました。 クリストファー・リーブと同じように、腰から取った骨を使って4番目 5番目 6番目をチタンワイヤーで固定するという手術をしました。

  最初はつま先がかすかに動くくらいで、全然首から下は動けない状態でした。その状態のまま手術後すぐに日本に帰ろうと思ったのですが、私が入院した病院はリハビリに関してはすごく進んでいる病院ということで、絶対そこに残ったほうが速く回復するからと説得されて、そのままそこに 1ヵ月半入院してリハビリを受けました。

  その結果、退院するころには一人でなんとか歩けるくらいになりました。手はなんとか握れるか握れないかくらいまでに回復しました。

  日本に帰ってきてからは仙台の東北労災病院に入院しました。そこでも1ヵ月半リハビリをやりました。日本に帰ってきた時点では、ほぼすべての筋肉がたとえ少しではあっても動くようにはなっていたので、あとはひたすら汗だくになるくらい鍛えて、今ではどんなスポーツでもできるくらいになっています。

  アメリカと日本の両方病院を経験しているんで、その違いをちょっとお話ししたいんですが、アメリカの場合は一人の患者に一人か二人のセラピストが付いて、歩けない段階から無理やり引っ張って立たせて歩かせたり、すごくアグレッシブなリハビリを行っています。日本の病院でそういうことやっているのは、見たことがありません。脳卒中をやったおじいさんなんかが、一人でパラレルバーのところで歩いていたりするのを見て、すごい危険だなと思ったんですけど、向こうでは必ず一人か二人ついて、いつでも支えられる状態で、すごくアグレッシブなリハビリをやっていました。

  日本では、 一人のセラピストが同時に二、 三人の面倒を見ているので、そういうアグレッシブなリハビリをすることは不可能な状況のようです。そういう状況を変えていけば、日本でも完全な麻痺でなければ歩けるようになる人はどんどん出てくると思うので、ぜひ日本の病院でもそういう体制を早く整えてほしいと感じています。

松井 たいへん貴重なご報告をありがとうございます。時間がもう限られてきましたが、どうしても発言したい方、はい、どうぞ。


 収入が途絶える不安


曾我部 すいません。どうしてもと言われたらちょっと戸惑うんですけれども、 私の場合、 両親はいてません。兄弟は四国にいてます。現在、どういう形で生活しているかというと、ヘルパーさんと契約しています。そして二人の同郷の学生さんに来てもらっています。 二人の同郷の学生さんは、 夕方の 7時ぐらいから私が寝るまで介護してもらっています。ヘルパーさんは、朝の 7時から夕方の 7時まで、私に付きっ切りで介護してくださっています。とっても現在は恵まれたヘルパーさんに出会って私の生活は成立しています。そのヘルパーさんは、学校に行くときももちろんいっしょです。パソコンを打つとき、私がちょっと専門的なことをするとき、手伝ってくれたりしています。 でもいつかは、 そのヘルパーさんとも別れなければいけないときが来ると思うんです。

  さっき、お隣の瀬出井さんがおっしゃったように、私はC4の頸損ですが、病院に入院しているときに、どうしても地域で生活したいということを主張しました。瀬出井さんがおっしゃるようにどういう重度の障害者であっても地域さえ、社会さえその気になればいろんな設備が整えば、一人の誇りを持った人間として自分の人生を自分で決定できると思っています。

  でも、私にはやはり不安があります。定年を迎えてしまったら、お給料も入ってきません。そのときどうやって生活していったらいいのだろう。施設に入りたくない。自分が今生活しているところ、自分が選んだところで生活したいという強い思いがあります。今の生活形態をできるだけ続けていきたいと思っているのですが、そのためには経済的な裏打ちがないと生活できません。そういう点について時々悩んでおります。 どなたかいい知恵があったらまた貸してください。どうしてもという発言ではなかったかもしれませんがお許しください。

松井 ありがとうございます。皆さんたいへんな思いをしてここに参加していますので、どうしてもということでお話ししていただいて結構だと思います。 あと、おひとりの方、どうぞ。


 人工呼吸器使用者は療護施設に入所できるか


荻野 川崎に住んでおります脊損のオギノと申します。今日は、重度の頸損の方と人工呼吸器の問題がだいぶ話題になりましたので、これと関連して申し上げたいことが一つあります。人工呼吸器を使用しなければならない人が、療護施設、それから高齢になってのそれぞれの施設に入所したいときに、これは医療行為であるから人工呼吸器の使用者は入所を認めないというのが、 どうも日本中全部のようでございます。カナダと日本とのあまりの違いにちょっと驚いておりますが、このへんが問題ではないかと私は思っております。今の結論はだめだということのようです。

松井 今のお話にちょっと反論のようになりますが、今、二人、人工呼吸器を使用されている方が療護施設(東京と山形)で暮らしています。ですから、全部拒絶されているわけではありません。

荻野 私どもの感覚では例外ではないかと思いますけれども、普遍的にはどうでしょうか。

松井 例外であっても、現実に二人いるということは、それを突破口にしていけるというように考えることもできるんじゃないでしょうか。あと、お一人。よろしいでしょうか。


 介助者の身分保障


古小路 こんにちわ。東京大田区のコショウジです。ぼくは 2年前に岡山から 「介護移住」 という形で、家族から離れて大田区で自立生活をしています。東京は介護制度が進んでいます。もちろん、さっき皆さんが言われていたように、自分が育った地域で自立したかったけど、 やはりまだ、 地方はなかなか公的介護の制度が進んでいません。家族の介護だけで生活していたものですから、両親の介護疲れといった問題もありました。 自分は C4の障害ですが、頸損の方たちのネットワークで、東京だったら介護者の人たちをそろえて自立できるということを聞いて、思い切ってこの自立生活に踏み切りました。

  1年間はたいへんでした。 2年目からは少しずつこういう生活にも慣れて、介護者の方たちもそろってきて、今生活は順調で、安定しています。 ただ介護者の方たちというのは、フリーターといわれるバイトの方だったりします。今日一緒に来てくれた方は、近くの看護学校の学生さんで、アルバイトという形で来てくれました。 彼が来年卒業するとき後輩の方を紹介してもらって、また何年間かアルバイトできてもらうつもりです。

  介護者の方たちも、自立生活者の介護職として、十分に収入が取れて、保障面も取れて、 きちっとした仕事として認められるといいなと望んでいます。自立生活者たちが増えることによって、介護者の方たちの職業も確立されると考えています。だから多くの重度の障害者たちもどんどん社会に出て、介護者が24時間介護しながら、 その生活の中から自分で食べていくために仕事をしていく。そういう形で社会の中に入っていく。 そういうことで社会も少しづつ良くなっていくとぼくはそう考えています。介護者の方たちの身分保障も、もっと社会の中で確立されてきたらいいなと思っています。

松井 ありがとうございます。もうひと方だけに絞らしていただいてよろしいでしょうか。こちらの方が先、挙げられていましたので、あの方にマイクをさしあげていただけますか。




関連資料 TOP   NEXT   MENU TOP