JSCF NPO法人 日本せきずい基金

家族介護なしでも住み慣れた地域で生活を
瀬出井弘美さん


松井 ありがとうございました。 それでは、もうひと方、壇上でお話していただきます。瀬出井弘美さん、受傷直後は頸椎 5番損傷と診断されました。現在は頸椎 7番ぐらいの麻痺ではないかとおっしゃっています。神奈川県の横須賀からお見えになりました。

  瀬出井さんは登山が趣味で、けがする前から車イス登山のボランティア活動にも従事されていました。そしてご自身も登山中の転落事故で頸髄損傷になられ、にも係わらず、登山が好きで今も山に出かけるたいへん明るい方です。9ヵ月ですね、瀬出井さん、入院治療を受けられて、ご自宅に戻られました。今マスコミであまりかんばしくない宣伝をされていますが、あの立派な神奈川県警の事務職員として 2年3ヶ月間職場復帰されました。横須賀の自宅から通勤できないので、ご両親と官舎で生活されていました。復帰すると仕事だけの生活になってしまうし、ご両親のことも考えて退職され、現在はいろいろな会報の編集やメールでも非常に活発な活動をされています。よろしくお願いいたします。

瀬出井 皆さんこんにちわ。横須賀から来ました瀬出井と申します。瀬出井という名字は、皆さん初めて聞く名字かと思いますが、たまに中国の方ですかといわれるんですけど、歴とした日本人ですのでよろしくお願いします。

  現在両親と暮らしております。ちょっと緊張しておりますので原稿を見ながらで失礼します。
個々の問題は、障害の程度とか個人の生活環境などでさまざまだと思います。私が障害を負って以来ずぅっと心の中で思っているのは、 「人として当たり前に普通に生きるとはどういうことか」ということです。私は両親亡きあとも、自分の生まれ育った住み慣れた地域でずぅっと暮らしたい。それはわがままな突拍子もない考え方でしょうか。あなたがもし同じ立場であったなら、遠い町の人里離れた施設で住みたいと、暮らしたいとお思いですか。

  多くの頸髄損傷者や脊髄損傷者は、ある日突然事故にあって、手も足も動かない、呼吸すら自分ですることができない不自由な体になってしまった―それは明日だれにでも起こりうることではないでしょうか。 それでも私たちには 「生きる」 という目的があり、例え手や足が動かなくなっても、私という人間の人格や個性は、まったく変わらないと私自身は思っています。それが本来の人生というものです。

  でも、その存在さえも否定されるような、<リハビリ終了退院イコール機能の回復完治した元どおりの体>という考え方が、健常者中心の社会の中には根強くあるのではないでしょうか。健常者中心であるがために、不便な体をケアしながら生きる私たちハンディキャップ者に、それがとても大きく伸し掛かっています。呼吸器を必要とする高位の脊髄損傷者は、そのリハビリさえも、助けられた大切な命でありながら満足に受けられない。家庭復帰の目処さえつかず、長年の病院生活を余儀無くされているというのが現状です。

  病院は生活の場となるついのすみかでは決してありません。この人たちは人として当たり前に普通に生きていると言えるでしょうか。だれでもが人生という道のりを歩んでいきます。それがより楽しく豊かなものであるようにという思いは、私たち重度障害者でも何ら変わりはありません。

  障害を持っていても、自立した人間として生きるために必要な情報やサポートを分かち合い、それぞれの立場を理解し合い、得意の分野を一つにつなげ、価値観を共有できたらと心から願っています。21世紀にだれでもが人として当たり前に普通に生きられるために、そこからこれから進むべき第一歩が見えて来るような気がします。ちょっと固い内容になってしまいましたが、これが今私が心から思っていることです。どうもありがとうございました。

松井 ありがとうございました。それでは、これからフロアーの皆さんのご発言をいただきたいんですが、その前にもうひと方、私のほうから指名させていただきます。北村さん、ぜひ一言ご発言お願いいたします。

北村 今ご紹介いただきました北村と申します。私は母親ですが、今日の会がどういう会なのかわからなくて何も準備しておりませんが、先程からここにいましてどんなことを言いたいかということを聞きましたので、代弁させていただきます。話しはできますけどささやき声で、マイクにも入らない程度ですので代弁させていただきます。

  私は、つまり本人ですけど、フミトシと申します。15歳のときから障害でC3(頚椎3番)障害です。19年間に三つの病院を経て、現在まで入院しております。急性期とリハビリ期と、それから療養期ということになりますが、決して居心地のいい人生ではございません。 退院を常に迫られています。なぜ 19年間もいられるのか、橋本首相と同じくらい偉いのか、という質問を受けたこともございます。

  19年の間にはいろんなことがございましたが、一番、心に今思いつくのは横浜スタジアムに出掛けたことだそうです。 小学校に入学する前から、ドラゴンズのファンでした。今年は喜んでおりますが。ぜひドラゴンズが横浜に来たとき、応援に行きたいという目標がございました。

  本来なら C3は呼吸できないはずですけど、ウイニングできないんですが、急性期のうちに――ちょっと脱線しますけど、私、母親は看護婦でした。19年前はC5以下ならリハビリはあるけど、C4以上の障害は予後不良としか書かれておりませんでした。私はそういうことはあるんだろうかと、暗中模索のうちに親子でがんばった結果、ウイニングに成功しました。ただし意識的に呼吸補助筋を動かしてますので、夜間と食事をするというときは、 そちらに筋肉、全精力を使いますので呼吸器が必要です。

  呼吸器をつけておけばいろんなことができます。タイプライターを打つとかもできますが、事故防止、突然のさらにもう一度の危険を避けるためと、それから外出したいということ。その当時は携帯用の呼吸器はございませんでした。ウイニングを第一の目標にして、全てを犠牲にしてドラゴンズを応援にいくということを目標にしました。

  でも、そのような気分になるまでは 3年ございました。3年間、 毎日泣いていました。でもそのころからウイニングが成功することもあって、ドラゴンズの応援にと。最初に横浜スタジアムに行ったときには、普通の車イスの方の席はございましたが、介護者を二人も必要とするリクライニング型の席はございませんでした。 私はそこで、 「そういう障害者も野球を応援する権利がある」と、嫌われましたけど、ずいぶんがんばりまして。1回目はトラブリましたけど、2回目からはスムーズに付き添い二人を認めていただきまして非常に快く。最近はとても和やかな雰囲気で相当のことは手伝っていただいて、今年も応援に 2回ほど行って参りました。そういうことが今一番思い出したことです。

松井 ありがとうございました。北村さんのお母様はつい最近本を出版されましたね。 『退院勧告』 (自由工房) というタイトルです。まだ私も読んでおりせんが、ぜひ今日は購入して読んでみたいと思っております。

北村 本人の思いもそうですが、私の 19年間の戦いと言っていいでしょうか。それらのことは一口には申し上げられませんので 『退院勧告』 という本を、自由工房の心づかいで出させていただいてます。
前にあるかと思うんですが、急性期の問題とかウイニングの状態であるとか、今どんな状況にあって退院しなければいけないかとか、いうことになっていますけど。

  第一にはやっぱり日本の医療の根本的に、急性期のみが医療であるとする、後は福祉であるという切り捨てが問題ではなかろうかと思っています。やはりリハビリ期も療養期も医療です。重度障害にとってやっぱり保助看法で吸引は専門職でなければできないとされている以上、終末まで医療が管理するべきだと、そういう問題点について書きました。さきほどどなたかが言われましたように、親がなくても生きていけるような場を、集合であろうと、集合住宅ではあっても介護者は個々の契約にするといったようなことを考えておりますので、ご賛同いただければ幸せです。

松井 ありがとうございました。あと 30分ございます。この時間全部を使うわけにはまいりませんが、最後のまとめを除いて約二十数分間、フロアーの皆さんにぜひご発言をお願いしたいと思います。21世紀、医療福祉に望むこと。あるいは一般の方たちに、脊髄損傷とはこういう問題があるのだということを、こういう点をぜひ知ってほしい。その 2点にわたってご発言、ぜひお願いいたします。




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